アイデアとメモの関係
メモを取ることは正しいことなのだろうか。最近まで思い返すたびに悩んでいた。
私が一番メモを取りたいと思うのは、何かを思いついた時だ。
誰もまだ考えついていない新しいアイデアだとか、こんな視点はおもしろいと自分で(勝手に)思い込んで、「忘れないうちにメモを取らないと!」となるわけだ。
しかし、ある時思ったのだ。
忘れてしまうようなアイデアはそんな良いものではないのかもしれない。
もし私が思いついたのがとてつもないすごいアイデアだったなら、それを忘れてしまうわけがない。
忘れてしまうくらいならそれまでだ、という考え方も正しいのではないだろうか。
しかし、自分の思いついたアイデアがすごいかすごくないかは、すぐに判明するわけではない。
もしかすると数年後に何かを産み出すかもしれないのだ。そう思うとやはりメモしておこうという気持ちになる。
そんな風にして、「メモ」という人間の行動としてはすごくプリミティブなものの所作を悩んでしまったのである。
ある日、その悶々とした想いは払拭される。
私の尊敬するコピーライターがこう言ったのだ。「アイデアがすごかろうがすごくなかろうが、人間は忘れるよ」と。
そうか、と納得した。
人間の機能として「忘れる」ということが、アイデアの良し悪しより前に鎮座しているのだ。
すっきりした。これからはどんな自分のアイデアもメモすることに決めた。
自分の好きな人が言ってくれたことも大きいし、すごく納得できる論理だった。
「メモを取る」というこんな日常的な行動までも彼が考えていて、更にその答えも持っているということが、またさらに彼を尊敬させた。