ものの仲間

ふつう「仲間」ということばは人に対して使う。
ペットを飼っていない私にはそう感じることができないが、子どもの頃からペットと一緒に暮らしている人にとって犬や猫は仲間だろうし、家族とも言えるだろう。
では、仲間は生き物に限るのだろうか。
私はそうは思わない。

私にとっては身の回りにある「もの」も仲間として成立する。
机の中や棚の上に飾ってある自分の宝物は過ごした時間からいっても、単なる友達よりよっぽど「仲間」である。
私はそういう考え方があるから、自分の言うことを聞かない「もの」に腹を立てることがある。
意図したとおりに動かなかったり、面倒を呼ぶことがあったりする「もの」に対して、時には「何なんだよ!」と声をあげる。
それは、私が彼等を本当に好きで、大切に思っているからなのである。
そんな風に怒られたりする「もの」はどう思っているだろうか。
私のことを仲間だと思ってくれているだろうか。
私はものに対してやさしい言葉もかける。
彼らが悲しかったり、つらかったりするかもしれないと思うからだ。
たとえば、踏んづけてしまったり、傷を付けたりしてしまった時に「ごめん!」「大丈夫?」と投げかける。
人にはこんなことをしていると言ったことはないのだが、きっと自分と同じように「もの」を仲間として扱い、言葉をかける人もいるだろう。
彼らも密かに話しかけているのだろうか。
私はいつか親や兄弟に言った。
心は形がないから壊れないけど、ものは形があるから壊れるのだと。
壊れてしまう可能性のあるものの方をより大切にするという考え方を小学生のころにしていたのだ。
それくらい、ものが壊れたり、なくなったりすることが、私にとって悲しい出来事だったのだ。

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