知力・体力その次は
「知力・体力」の次に続くことばは何だろうか。
「気力」だと字面がいい。
「時の運」だと語呂がいいのだが、何か自分に合ったことばを探してみようと思った。
自分の人生を思い返すとすぐに浮かんできた3文字がある。
「想像力」だ。
私は色んなことを想像することに長けている。
仲間内で何かを発想しようという話になると、自分の発言だけバラエティに飛んでいるし、考えが止まるということがない。
いくらでも溢れてくるといった感覚だ。
「それはムリだよ」という言い方をされることも多いが、この手の反応が一番嫌いだ。
やりもしないでムリと言う人間はおそらく、できるという想像ができていないということだろう。
ひどい言い方をすれば「あなたの発想力が貧困だから、それはムリだと感じるんだよ」ということになる。
私は自由に発想できるので、「そんなこと思いつかなかった」という人の気持ちはあまりわからない。
彼らには何かしらの制限が頭の中にあり、それによって空想することすらできなくなっているのだとしたら、もったいないことだと思う。
原因は何なのだろうか。
おそらく知識が何も考えずに頭の中に放り込んでいく内に、常識という枠が次第に出来上がっていったのではないか。
それは本当に正しいか考える。
自分で確かめてみる。
一から自分の頭で考える。
こんな行為を私は産まれた時からやってきた経緯があるからきっと、頭の中で勝手な制限を行う枠が形成されず自由に発想できるに至ったのだと思う。
そういう生き方を幼少の頃からさせてくれた親に感謝する。
本当に自分の中で一番の強みを感じる部分がここだから。
想像力
人生って言うと、なんだかとても難しい問題に感じてしまうけど、実際の所そこまで深く考える必要はないように思う。
私の今までの人生を思いかえしてみると、出来事としては思いもよらないような事もあったが
その出来事の結果においては、自分の想像力の範囲内に収まっている気がする。
だから、人生の幸せも不幸せも自分の想像できる範囲でやってくるのではないかと思う。
どうせなら幸せをたくさん、そして大きく感じる人生の方がいい。
だから想像もできないような幸せを待ち望むんじゃなく、とにかくいろんな幸せパターンを想像するようにしている。
具体的な願望ではなくて、幸せを感じるだろうと思う状況を想像する。
不思議な事に何年後かに何気なく想像した「幸せを感じる状況」に遭遇することがある。
もちろん、幸せな状況だけではなく、不幸せな状況も同じくある。
人はついつい「こうなったら嫌だなぁ、困るなぁ」と不幸せな状況を想像してしまう。
不幸せな状況ばかりを想像していると、その後遭遇する出来事は不幸せな事が多くなってしまうんじゃないかと思う。
でも、人が想像できる不幸せなんて結構たかが知れていて、後から考えると小さい不幸せだったりもする。
ただ、不幸せな状況にいる時は、現状よりももっと悪い状況を想像して心配してしまう。
幸せな状況の時も同じで、幸せな状況にいるときは今よりもより幸せな状況を想像してわくわくする。
どうせ想像力を膨らませるなら、幸せな状況を想像した方が気持ちが楽になる。
そう考えると人生っていうのはそんなに難しいものじゃなく、気の持ちようでどうにでもなる割といい加減なものなんじゃないかと思う。